なんかねー、ブライソン・デシャンボーとイーデルとTGMの関係を洗ってたらねー
洗ってたって言っても「David Edel Ben Doyle」とかでググってただけなんだけどねー
まず面白かったのがジム・マクリーンってアメリカの有名なコーチが、ベン・ドイルさんの死去と、最近のデシャンボーの活躍に寄せてTGMをクッソDISってるブログとか発見したんだけどねー
ジム・マクリーンさんがケリー爺とごく近所に住んでて、面識があるってのは知ってたんだけど、ここまでケリー爺のことを嫌っているとは知らなかったよー
ちなみにジムさんは全米でも有名なコーチで、トム・カイトとかキーガン・ブラッドリーとかPGAプロのかつてのコーチだっただけでなく、自分の名前を冠したゴルフスクールを全世界に10箇所も展開しているという大成功しているコーチだよー
ちなみにここで勉強してきたぜって日本人では江連忠って人がいるけどねー
でジム君どんなこと言ってるかを簡単に紹介するとねー
・ベン・ドイルはすごい奴だが彼の信奉してたTGMってのはクソだ
・TGMはベン・ホーガンやサム・スニードのパクリだ
・それをなにやら小難しい技術マニュアル的な言葉で説明しただけだ
・スインガー・ヒッターの概念もTGMが初めて提唱したものじゃない
・デシャンボーは頑張ってるが、スイングとクラブを作り上げたのは(TGMじゃなくって)彼と周辺のスタッフの努力のたまものだ
・そもそもあのホーマー・ケリーってのはゴルフ上手くないしコミュ障入ってるからコーチも出来ないし、なんか貧乏くさくてロクな道具持ってないし
・そこへ行くとベン・ドイルはすごい。プレーヤーとしてもコーチとしても
・まぁTGMはヘボゴルファーにはいいのかものな。インサイドアウトに振れとか頭動かすなとか。上級者やプロはそんなことしてないけどな
・だいたいTGM系のインストラクターはウェートシフトに消極的だけどな、飛ばねーっつんだよそんなんじゃ。マキロイ見てみろ
・技術的なことを考えすぎるからイップスとかなるんだよ
・だからみんな最終的にはTGMから離れていくんだよ
・まぁでもベン・ドイルはTGMを世界にわかりやすく説明したという点で功績のあったやつだよ。まぁ彼が死んでそれも終わりだと思うけど。冥福を祈る。
なんか様々なTGMへの誤解や、ゴルフ業界における競合心とか、スタック&チルトへのDISりも入ってる感じなんだけど
ここまで嫌われるってさすが爺だねー
で、本題のブライソン・デシャンボーと、彼がかつて使っていたイーデル社の創業者であるデイビッド・イーデル、それとTGMにどんな関係があったのかを扱った記事がこちらだよー(英語)
以下要約ー
デイビッド・イーデルはオレゴン出身で早くからゴルフ業界で働くことを決意していた。1994年にPGAのAクラス資格を取得、1991年にThe Golfing Machineのマスター資格(Golf System Engineering Master: GSEM)を取得
やっぱおまえらみんなグルだったのかー
しかしプレイヤーとしては芽が出ず、1996年にイーデルゴルフ社を設立、カスタムパターの製造を始める
現在はテキサスを拠点に様々な側面からのフィッティングが可能なパター、ウェッジ、アイアンを製造、独自の科学的研究とツアープロとしての経験に基づく独創的な道具を開発し、ツアープロの間でもその地位を盤石のものにしつつある
現在はアメリカ国内に110人の公認フィッターがいる
なんかウェッジのバンスが22°あるらしいけどねー
当初あまりにも独創的すぎてまったく売れず、実家が経営するホテルを二軒売却、会社もヘッジファンドの資本傘下となる
苦労したんだねー
綱渡りトレーニングでバランス感覚を養うブライソン君
後にブライソン・デシャンボーのコーチとなるマイク・シャイはジュニアの頃からプレイヤーとして一定の成績を収めていたが、15歳の時周りのジュニアの何人かがベン・ドイルの生徒であることを知って、三時間かけてベン・ドイルのもとを訪れて指導を受ける
でたーグルー
シャイはそこでクランペットにも出会うが、ドイルの当時としては珍しいビデオを使った科学的な指導手法に感銘を受ける
同時にTGMの存在を知り読んでみるが、さっぱり理解出来ずそのままドイルに弟子入りすることになる
シャイは学生のうちに結婚して家族を養わなくてはならず、ティーチングとクラブフッティング・製造の道を歩むようになる
彼が同じくベン・ドイルの教えを受け、一緒にクラブ開発をするようになっていたデイビッド・イーデルと出会ったのはこの頃である
「こいつマジ天才やん」と当時カスタムパターを作り始めていたイーデルの能力に舌を巻いたシャイは、全米で二人目のイーデル公認フィッターになる
ちなみに一人目の公認フィッターはチャック・クックである
チャック・クックですぐにピンと来た人は相当このブログ読み込んでる人だけどねー、下の記事にでてくるよー。今はペイン・スチュアート、キーガン・ブラッドリー、ジェイソン・ダフナー、そしてこのブログにさんざん出てくるルーク・ドナルドのコーチだよー。つかブラッドリーこの記事出てくるの二度目だな
既にコーチとしてある程度の評判を得ていたシャイは、クラブを訪れていたジョン・デシャンボーという元PGAツアープロと知り合いになる。彼の二人の息子であるブライソンとガレットはともに運動神経が良く、ブライソンはサッカーチームではゴールキーパー、バスケチームではポイントガードとして活躍していた
しかし父ジョンは「ブライソンはチームスポーツに向かない」と言ってゴルフをさせることになる。理由は彼がベストを尽くさないチームメイトにキレまくって空気がアレになることが多かったからである
ブライソンの持つ、スポーツ選手にありがちな飽くなき向上心、あるいは追求心と、真面目なTGM系コーチであるシャイはウマがあった
ブライソンが強くなるにつれ、道具の契約が待っていたが、彼の父ジョンは元タイトリストの契約プロで、当時も開発アドバイザーであったためタイトリストを使う事になりそうだったが、どこかフィーリングが合わず彼はテーラーメイドと契約する
ブライソン11歳のころ、TGM系の盟友でありフィッターでもあるシャイのもとをデイビッド・イーデルが訪れる。この時のフィッティングを実際に見たことで、ブライソンのイーデルパターへの興味が深まる。もともとブライソンは数学系に長けていて、後に南メソジスト大学の物理学科に進むのだが、パッティングだけはうまく計算しきれないというフラストレーションを抱えていた
何回か試打というかフィッティングを重ねるうち、ブライソンはすっかりイーデルパターに魅せられた
「おっさん、これなんかいいな。ちょうだい」
「やれるかバカ、カスタムパターは$800からだ。もうかってねーんだよこっちは」
「たけーよ」
イーデルは何かを感じたのか、「じゃあ$200にまけてやる」と言った
家に帰ってパパにお金をねだったブライソンだったが、タイトリスト信者の父は何か根に持っていたのかお金をくれなかったので、彼は二ヶ月間草刈りのバイトをして$200をイーデルに支払った
「あれは全てを変えた。彼のために特別にあつらえられたパターを彼自身の努力(草刈り)で手に入れたことで、人間として、プレイヤーとして自信を持つようになったんだ」のちにお金をあげなかった父ジョンは語る
デシャンボーが15歳になったとき、コーチのシャイは頃合いとみたのか「実はこういうバイブルがある」と言って、手垢の付きまくった例の黄色い本を渡した
デシャンボーはそれを読みふけり、特に興味を持ったのが「ゼロシフト」という単語だった。「ゼロも含めてバリエーションなんだ」
シャイは一度もブライソンを議論で打ち負かそうとしたことはなかった。人が求めるスイングはそれぞれ異なるのだから、どうすればそれが機能するかだけを話し合った
結果として彼は現在のワンプレーンスイング探求を始めるのだが、当然の帰結として全ての番手が同じ長さ、重量のアイアンを作る必要があった
そこで二人は中古のアイアンをいろいろ買ってきてためした結果、ナイキのVRというアイアンのヘッドがそのための加工に適していると感じた。フィッターであり、クラブ製作も手がけてきたシャイは、試行錯誤して37.5インチのワンレングスアイアンセットを手作りで作りあげた。2011年のことである
2012年に入り、実験を重ねて理論化されたクラブのスペックが決まったところで、デシャンボーはワンレングスアイアンの製作をテーラーメイドに依頼するが、できあがったモノはなんというか、まったくフィーリングの異なるクラブだった
「そうだ、デイビッドならつくれるはずだ」
「またおめーか、めんどくせーガキだな」
テキサス州は広く、ブライソンとデイビッド・イーデルの家は300km近く離れていたが、ブライソンは月に二度ドライブしてクラブ開発にあたった。そしてこの2012年から、イーデルのクラブでブライソン・デシャンボーはアマチュアタイトルを総ナメにするのである
デシャンボーの活躍で注目を浴びたイーデルだったが、カスタム手作りのみでは対応出来るはずはなく、現在では1億通り以上のカスタマイズが可能な既製品を商品化している
いいはなしだねー(´ ▽`).。o♪
ちなみにデシャンボーはマック・オグレディって言う変態的なプロにも師事してるんだけど、こいつパーシモン使いであんまり本筋と関係ないからはしょったよー
ま、やっぱりみんなTGMグルだったんだなって事がわかってすっきりしたけどー
つかイーデル使えよデシャンボー!