まぁゴルフとは全然関係ないのですけれども。一応私の人生に大きな影響を与えたとも思える漫画「風雲児たち」作者のみなもと太朗さんがお亡くなりになりました。享年74歳でした。

「風雲児たち」に関してはご存知の方はご存知でしょうし、ご存じない方は全然ご存じないと思うのですが、かれこれ40年来にわたって連載が続けられてきたマニアック歴史マンガです。

基本的には幕末をテーマにしたマンガなのですが、幕末に統幕勢力となった薩摩、長州、土佐といった雄藩は、そもそも関ヶ原で西軍につくも戦闘には参加しなかったのに過酷な戦後処理に遭い、その怨念が260年くらい後に討幕運動としてよみがえるという壮大な構想のもと描かれておりますので、まずマンガは関ヶ原から始まるわけです。

そして18世紀の西洋の産業革命に伴う科学、船舶の航続距離、兵器の飛躍的進歩などによって鎖国ジャパンが完全に置いてけぼりをくらうなか、心ある日本人はやがて日本が列強の属国となるという危機感のもと、海外情勢や学問を懸命に収集していくわけですが、幕府はその体勢の保身のためにこうした学問に対してすさまじい弾圧を行ったわけです。

連載していた雑誌が廃刊になったり紆余曲折を経て、やっと最新刊では1863年の英国公使館焼き討ち事件くらいまで進んでいたのですが、新刊が発売されないのでどうしたのかなと思っておりましたところ、本日作者のみなもと太朗さんの訃報を聞き及びました。享年74歳でした。昨年より肺がんのため闘病生活を送られてきたとのことでした。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

 

私がこのマンガの内容で最も印象に残っているエピソードは、18世紀に入って西洋の書物(オランダ語)が日本に入ってくるようになって、始めて日本人が西洋の科学に触れるわけですが、中でも当時東洋医学の知見しかなかったお医者さん達にとって、詳細な人体の解剖図を伴う医学書は図を見ただけでも衝撃的な内容だったわけです。

医学の発展のためにはなんとしてもこの書物(ターヘル・アナトミア)を翻訳しなければならないと考えた、中津藩医の前野良沢は、医者仲間の杉田玄白らとともにこのオランダ書籍の翻訳を決意します。当時の知識はABCに毛が生えた程度で、この時代もちろん日蘭辞典など存在するもありません。

そして図版をたよりに横文字とにらめっこを続けるという絶望的な翻訳作業が始まるわけです。

ちなみに完結と言ってますがこれは関ヶ原から高野長英死亡くらいまでの前半です。

それでも五年くらいでなんか翻訳してしまうので日本人ってスゴイなぁとしか言いようがないのですが、こうした努力を経て日本でも洋書が読めるようになっていくわけです。

翻訳ってただ言語を理解するのとは全然違って、まったく言語構造の異なる概念を母国語に織り込んでいく作業なもので、日本語に翻訳するのってゼロから日本語を作る作業なわけです。ましてこの時代はカタカナ外語なんてあんまり使えないので、セイニュウ→神経とか日本語にない単語はなんとなくニュアンスが伝わるように造語もしなければいけないわけで、明治期にかけて西周(にしあまね)や福沢諭吉がいろんな造語をしまくって現在では中国始め漢字文化圏ではそれが逆輸入されて使用されているわけですが(プレジデント→大統領とか)、ほとんどの国ではそれがムリなので例えば医学界では全員オランダ語でいこうとか、法律界ではドイツ語でやろうとか、言語ごとコンバートするのが普通なわけです。

つまり西洋の文化を取り入れようとすれば、言語ごと西洋化したほうが楽ちんなのですが、日本がそうならなかったのは、つまり現在でも我々が日本語を使っているのはこうした先駆者の努力があったからと言っても過言ではないわけです。

 

かくしてこのブログというか私とこのマンガとの関わりでもあるのですが、The Golfing Machineという書物の存在を知って、その本を翻訳しようと考えた時、私は前野良沢に自分を重ねていたのですね。勝手に。

・私が日本のゴルフ言語を理解できないのは、それぞれの論拠が明白ではないから

・そもそも論理の展開の礎となる基礎研究がゴルフの分野では進んでいないからではないか

・そうした書籍が全然日本語に翻訳されていない

じゃあ誰かがやったほうがいいのではと思う反面、

・別におれゴルフの専門家じゃないし

・英語が少しできるたって留学してたわけでも帰国子女でもないし

・いろんな人が翻訳しようとして挫折したっぽいし

・「そんな昔の本が翻訳されてないのは、時代遅れなのか価値のない情報なのかのどっちか」

・「そんな面倒なことしてないでもっと儲かりそうなことに時間使え」

 

等々家族の反対も含めて葛藤がありまして、半年くらい悩んで「それでもやっぱやった方がいいっぽい」と直感的に考えて翻訳に着手したわけです。しかし合理的に考えれば挫折してしまいそうだったので、「合理性を無視してバカになろう」と考えて「大庭可南太(そもそもおれは「大馬鹿なんだ」)という意味)のペンネームで始めたのです。

 

イザ始めて見ると

・わかんない単語や内容はネットで調べられるし

・別に翻訳したからと言って幕府に弾圧されないし

・一回1ページでマイペースにやってけばいつかは終わるし

 

みたいな感じで前野良沢に比べれば全然ラクでしたし、なんならネット社会のおかげで在庫もせずに紙に刷った本をネットを介して販売も出来たりするわけです。つくづく良い時代に生まれたものです。

そしてそうしたゴルフ活動を続けてきて、今ではそれが本業になって人様にゴルフ教えたりしているわけです(コロナで前職が吹っ飛んだせいでもある)から人生わからないものです。

 

ちなみに前野良沢らの翻訳活動の全貌は、メンバーの1人である杉田玄白の「蘭学事始」というエッセイを、前野良沢と同じ中津藩士の福沢諭吉が明治に入って復刻出版したことで今日に伝わりました。

まぁ私自身は小学校から慶応幼稚舎の苦労知らずな人間ですが、福沢諭吉は神であるレベルの教育を受けて育ちましたので、これも何かの縁というか、私がやらなければいけないのだろうなと勝手にと思ったことも事実です。

 

そんなわけで、みなもと太朗先生の「風雲児たち」に出会わなければ、今日の私はなかったかもしれません。子供の時から40年くらいずっと愛読していた「風雲児たち」の完結を見られないことはとても残念ですが、謹んで先生のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

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