なんかパーマリンクの設定変えたら過去記事のリンクが全部飛んだ(あたりまえ)んですけど、これ記事内のリンク全部貼り直しってことですね。まぁはてなブログからの引っ越しでリンク飛んだのもありますし、本文のリライトも含めてちょっとメンテナンスしなきゃとは思っていたのですが、意外に300近い記事数があることに気づきましてけっこうな作業量になりますね。まぁ無職で時間はあるのでじっくりやっていこうと思います。
さて前回の記事はこちらです。
前回記事はこちらになります。「てこの原理」を使用した場合のリズムの喪失の可能性について言及しています。以下続きです。 クラブのバックスイングの始動を性急でぎこちないものにしてしまった場合、このようなリズムの喪失のトラブルが併発することはほぼ避けられないと言って良い。しかしこのことは「じゃあクラブの始動はゆっくりと慎重に」ということで片付けられる単純な問題ではない。このような方法でダメージを低減出来る可能性はある。しかしこのようなゆっくりとした始動は、プレイヤーが複数のフォースの活用に対し... 第六章 「スイング」の障壁となるもの(その2) - 大庭可南太の「ゴルフをする機械」におれはなる! |
では続きをどうぞ。
いかなるゴルファーも、個々の動きの違いによってどのような作用の変化が起きるのかという分析が冷静に行える年齢に達するまでは、他のプレイヤーのフォームを意図的にコピーしようとする試みは避けた方が良い。50年前に、サー・ウォルター・シンプソン(注:19世紀末に「The Art of Golf」という有名な本の著者)はこのように書いている。「自分にとって、あるいは貴方にとって、あるチャンピオンの動作を模範とすることは、シェイクスピアになろうとして『ハムレット』を模倣しようとするのと同じくらいに意味がないことである。」これはこの時代において真理であり、現在においても真理であると思う。エキスパートのプレイヤーのスイングはその全てが異なっているのであり、これは彼らの歩き方が少しずつ異なっているのと同じ事である。私がこれまでに見てきた数多くのプレイヤー達の中で、完全に同じスイングと言えるものは見たことがない。しかし全てのスイングにおける基本的な原則は同じであり、それは彼らが「歩く」ということにおいても同様である。
「いや、ある若いプレイヤーのスイングは、その指導者のスイングに瓜二つだという話をよく聞くのだが」と貴方は言うかもしれない。
おそらくそれは事実だろう。ある高名なプレイヤーのスタイルが、ゴルフを学ぶなかでその指導にあたったより年長のプレイヤーのスタイルに影響を受けることは確かである。しかしクラブをスイングする上において、そうした事柄をスタイルとして正しく認識出来る年齢に達している、あるいはそうしたことを学ぼうとしているのであれば、このことをして意図的に他人のスタイルをコピーしようとすることは避けた方が良いというアドバイスに対する反駁として受け入れることはしないほうがよい。
若いうちからゴルフを学ぶということと、成熟した年齢に達してからゴルフを学ぶということの間には、ある大きな違いがある。幼少期であるほど、全ての動物に備わっている能力として、何かを真似るという本能が効能をもたらす余地が大きいという単純な理由によるものである。しかしそうした余地は年齢を重ねるにつれて減少し、代わりに動作を分析するという能力が発達してくるようになると、ものごとを真似るという本能は減退していくのである。子供はあるパフォーマンスを観察し、そうしたアクション全体を一枚の絵として脳に記録する事が出来る。このとき彼はまだこのアクションを詳細に分析することも、その後に起こることを予測して表現する事も出来ないが、この真似るという本能は、ほんの数回見ただけでアクション全体を再現すると言うことに関して驚くべき能力を発揮する。
このことに関して、もうひとつ面白いエピソードを紹介しておきたい。ボビー・ジョーンズ氏が14歳で始めて全米アマチュア選手権に出場したときのことである。ある有名なゴルフ記者が、彼のティーショットを少し離れた場所から見ていて、「まるでスチュアート・メイデンが打ってるみたいだ」と評したのだ。メイデンはアトランタにあるクラブのヘッドコーチであり、ボビー・ジョーンズもそこでゴルフを始めたのである。またその記者は子供の時からスコットランドでメイデンの仲良しであり、長年にわたって彼のスイングに慣れ親しんでいたのだ。この話が真実かどうかの保証は出来ないが、いかにもあり得る話である。また一説では、ボビー・ジョーンズ氏は子供の時からモノマネが得意で、クラブのいろんなプレイヤーの真似をやや誇張して行って友達や家族の笑いを取ることが上手だったという。
特に負けん気が強く早く上達したいと考える男の子の場合、彼らが観察してきたプレイヤーのパフォーマンスを真似るようになるというのは極めて論理的に説明出来る現象であると思う。これはそうした能力のキャパシティが充分にある、幼少期に起きる本能的な現象である。さらに言えば、この時期彼らは自然により上級者のスイングをモデルとして選択する。モノマネを再現することは、つまるところスイングのフォームを再現することであり、これを重ねるにつれてスイングのアクションも半ば習慣的と言えるまでに上達していくが、彼らは真似るという本能に従っているだけでそこには何か意図したものがあるわけではない。
しかしながら、既に説明したように、この本能的に上級者を真似するという現象は、上級者のスイングを意図して真似る、あるいはいくつかのポイントを切り取ってそこに焦点を当てるというプロセスとは根本的に異なるものであり、要するにこれは観察されたアクションに対して分析を加えるという試みに他ならない。この二つの違いについて考えるならば、例えば貴方のキャディがこっそりと貴方のクラブの一本でこっそり素振りをしているときに、この行為はキャディマスターの指導には反するのだろうが、驚くほどスムースなリズムでスイングしているのを見る一方で、あるプレイヤーが一生懸命に左肩の後方にフィニッシュの形を取ろうと意識しているとき、そこにはボールをマン振りで捉えようとしているときのリキみしか感じられないのと同じようなものである。
もちろんクラブヘッドに何が行われているのかについて、正しく感覚を通じてより簡単なプロセスでスイングを行う方法を学んでいくなかで、他人の外見上の要素にいささかも影響を受けることなくそれを行うことに、我々の大半が困難を感じることは事実である。貴方が歩く様は、他の人ほどエレガントではないかもしれないが、それでもちゃんと歩くという結果を伴っている。我々はみんながみんな完璧にスタイリッシュなわけではないかもしれないが、正しい方法で取り組んでいけば我々は必ず何かをするためのフォームを確立する事が出来る。ここで言うフォームとは、同じ事を事実上何度でも同じ方法で行う事が出来るようになるためのキャパシティのことである。「スイング」のアクションを確立することは、ボールを正しく打撃するための信頼のおける方法を習得するための、最も確実かつ安全なアプローチなのである。
まぁ、要するに、こういう動画の一部分を切り取って、これ真っ裸でゴルフをすることで有名なケプカさんですけど
「Oh、やっぱダウンでのこの右肘のたたみ込みがスゲーよな」とか言って一生懸命右肘を引きつけるような意識で練習するのとかは
「絶対にやるなよ」
ってことですね。フリじゃなく。いや、ほとんどの人はそれしかしてないと思うんですけどね。そうじゃなくて真にスムースでリズミカルにクラブ振るにはどうしたら良いんだろうという意識のほうがいいということですね。第六章はこれで終わりです。