ホーマーの死後、TGMの団体としての運営はサリーの手に委ねられることになる。
しかし公認インストラクターの育成、ニュースの発行、財務管理、そしてホーマーが最期まで推敲を続けていたTGMの7th Editionの発行など、さまざな労務がサリーの手に負えないことは明らかだった。
現実的にこの状況を救えるのはベン・ドイルだけであったかもしれない。しかし彼はあまりにも多忙になっていた。ペイン・スチュアート、カチース・ストレンジ、ベルンハルト・ランガーなどPGAプレイヤーのコーチを務め、1998年からはツアー10勝を成し遂げていたスティーブ・エルキントンのコーチも行うようになっていた。
エルキントンはツアー10勝したものの、スランプに陥り、1998年知り合いを通じてベン・ドイルを紹介される。以降、エルキントンは「より深いゴルフについての理解を求めるようになった」として、TGMの考え方に共鳴するようになっていく。そして2005年には再び賞金100万ドルを稼ぎだすプレイヤーとなる。
同様にクランペットも多忙であった。彼は解説者として、また指導者としても成功していた。
しかし1990年代、ゴルフ界は「ある男」一色に染まっていくのである。タイガー・ウッズと言うスーパースターの出現によって、あらゆるスイングの理論はもはやどうでも良いものになっていた。タイガーの出現は、スイング概念だけではなく、コース設計、道具も含めてあらゆるものに影響を与えたと言って良いだろう。
チャック・エヴァンスはクランペットブームの際にTGMに興味を持ち、TGMに加わってからはホーマーとともにインストラクションツアーを開催するなど、運営の中核的存在となっていった。
そしてエヴァンスはフロリダのあるゴルフクラブに招かれてTGMの講義を行う。彼を招いたのはマーチン・ホールと言う男だった。
ホールは1975年19歳でプロに転向するが、1980年にコーチに転向する。その頃クランペットの活躍で話題になっていたTGMにも興味を持ったが、一読して、とても理解できる代物ではないと感じた。そしてその頃13歳のリサ・ハックニーという才能溢れる少女のコーチングを始める。リサはその後フロリダの大学に進み、順調にキャリアを形成していくが、その過程で彼女もまたTGMに興味を示したことからホールは再びTGMに取り組むことを考えた。
その時すでにホーマーはこの世の人ではなく、ホールはベン・ドイルに「TGMについてあなたがコーチングをしているビデオかテープのようなものはないのか」と問い合わせをしたところ、ベンは気前よく彼のインストラクションの録音テープをホールに送った。1994年、ホールはさらにエヴァンスを自分の所属するクラブに招き、その理解をより深いものにしていく。
リサは1991年にプロ転向、欧州を拠点に1995年にツアー初勝利、1996年からアメリカでプレーし1996年LPGA新人賞、ソルハイムカップのメンバーにも選ばれ、1998年、31歳の時、42歳のマーチン・ホールと結婚するのである。
ベン・ドイルのクランペットと同じように、マーチン・ホールは1997年に9歳の天才少女、モーガン・プレッセルに出会う。モーガンの家はテニスをするものが多く、事実の彼女の叔父であるアーロン・クリックシュタインはATPツアーで史上最年少で優勝したプロテニスプレイヤーであった。しかしモーガンが本格的にゴルフを始める時、マーチン・ホールと言う優秀なコーチがフロリダにいることを聞きつけてきたのもアーロンだった。奇遇なことに、アーロンの父、またモーガンの祖父であるハーブ・クリックシュタインはホールのクラブのメンバーでもあった。
ホールはTGMの理論に則ってモーガンにコーチを行ったが、いわゆる「3つの必須事項」などと言った言葉を使わなかった。9歳の少女でも理解できる言葉を選んで彼女が吸収できるようにした。そして少女は2001年の全米女子オープンで史上最年少の予選突破を果たす。
サリーは懸命にTGMの存続のために努力を続けた。そしてついに取りうる最良の手段として、TGMのインストラクターである、エヴァンス、そしてデニー・エルキンス、ジョー・ダニエルスという三人に権利を売却するのである。しかしエヴァンスはわずか半年でこの団体から離れ、二年後にエルキンスが離れたことにより、それ以降、現在に至るまでTGMはLLC(日本でいう有限会社)の形態でジョー・ダニエルスによって運営されている。
2007年のナビスコ・クラフトLPGA選手権は、この歳の初めての女子メジャー大会である。最終日、18歳のモーガン・プレッセルは18番で10フィートのパット残してキャディにこう言った「少なくともこれ入れとけば後の組の人たちも何かしら考えると思うの」
そして後続のリーダであったパク・セリらは軒並みスコアを落とし、18歳10か月の史上最年少でのメジャー制覇をモーガンが成し遂げるのである。
「彼女はホーマーもTGMも知らない。コンポーネントの組み合わせもわかってない。でも僕が教えたことはすべてホーマー・ケリーから学んだことだ。彼女は紛れもなく、The Golfing Machineの子供なんだ」マーチン・ホールはそう語った。
ホーマーとサリーはシアトル郊外の同じ墓に埋葬されている。サリーは2006年に亡くなった。
そしてベン・ドイルも2014年12月に亡くなった。
彼のホームページを訪れると、そこには「Sustain The Lag」の文字がある。
@@@@@@@@@@@@@@@@ TGMものがたり おしまい
いやー微妙だねー
このTGMのブレイク加減の感じがねー
モーガン・プレッセルもまだ若いんだけどその後勝ってないしねー
一番気になるのはねー
このマーチン・ホールってしょっちゅうCSで見かけるんだけれどもー
13歳の時からの教え子に手をつけちゃったってことだよねー