サイトアイコン 大庭可南太の「ゴルフをする機械」におれはなる!

第九章 メンタルの側面(その3)

前回の記事はこちらです。

前回の記事はこちらです。ゴルフを学ぶ上で、過度のイマジネーションというものは時として多くの人にとって深刻な落とし穴となることがある。イマジネーションというものは、意識的な思考の活発な活動の結果である。これは私たちの生活における最も重要な要因の一つと言える。私たちは物心ついた時からこのイメージという活動のトレーニングを重ね、おそらくこれを人生の全ての日々で行っている。あるいはゴルフのプレイを学ぶときだけ、蛇口の栓をひねるようにこの想像という活動をオフに出来るのならば素晴らしいことだが、当然の事...
第九章 メンタルの側面(その2) - 大庭可南太の「ゴルフをする機械」におれはなる!

しかしそうしたささいなクセのようなものが、ある生徒にとっての上達に一定の障害となることも先に述べた通りである。彼のイマジネーションは、私がクラブを始動する際の押す、引く、引きずるなどの方法についての説明と、私がデモンストレーションで間違った方法でクラブを始動している際のある特定の動作の観察から得られた認識との間に、何か重要な関連性があると創造力を働かせることを抑止出来なかったわけである。イマジネーションというものは、常に情報やそれを処理する知性とともに機能することで我々のマインドに接続されるものであり、そしてビジュアル的な感性から得られる情報は、常に収集されているあらゆる情報や知性の中で最も影響が大きいものである。彼の視覚認識の感性は、アクションのフィジカルな側面を検知したが、それは彼のタッチやフィーリングの感性によって感知されたものではなく、当然のことながら実際にクラブを振ってデモンストレーションをしている私のフィーリングを検知したわけではなかったのである。

 

繰り返しになるが、ほとんどの人は突きつけられた何らかの事実に対して、その事実の正当性や出所に対しての何らかの疑念を差し挟まないまでも、全面的な信頼に対してはある程度の精神的留保を置く場合が多い。我々はみな、一般的に正しいとされることから自分だけは例外なのではないかというフィーリングに、程度の差はあれ傾倒しがちである。

 

私は読者諸君が、ここで、あるいは以前の章で、私が主張してきた事実に対して、そのような精神的留保をすでに経験しているであろう事に期待したい。つまり、ボールを打撃する際の想定されうる最大限のスピード、正確性は達成可能であり、また与えられ得る最大のパワーもそれに伴うが、それは他の何よりも「スイング」によってであるという主張に、疑問を感じたのではないかと思うのである。あるいは、最も信頼出来るストロークのルーティンは、他のどんな方法よりも、クラブヘッドをスイングする動作の感覚を学ぶことが有効であるという主張に対して、完全に納得がいったというわけではないかもしれない。もちろん、多くの人がそうしているように、ビジュアル的な分析のプロセスを通じてゴルフをプレイすることを学ぶことは、人間として当然あり得る行為であることも私は認めてきた。これら異なるフェーズの分析を通じて、異なるピースの動作を最終的に一枚絵に完成させることも出来るのかも知れないが、私はそれは困難な方法であると断言する。それは長年のこの界隈に従事してきた者として、これまで何千人ものプレイヤーがそのような方法を試みたものの、その中で目覚ましい成功を遂げた者が一人としていなかったことを知っているからである。

 

イマジネーション、あるいは意識的なメンタルのプロセスは、ゴルフを学ぶ上での障害を引き起こす可能性が極めて高いという困難に影響するこれら諸問題に、私は長年直面してきた。より簡潔な言い方をすれば、ゴルフのストロークを行う際に、メンタルの側面がどのように影響するのかという問題である。「スイングの障害となるもの」の章でも議論したことだが、この問題は要するに、プレイヤーのどのような精神状態が、彼が制御できるレベルを超えたパワーを注入しようとかき立てるのかという議論であり、それは結局のところ、スイングからレバリングにパワーの活用方法を変更することへの模索を続けるという終わりのない問題を引き起こすものでしかない。ちなみにこうしたプレイヤーはその後ショットの確率という新たな気苦労に悩まされることになるのである。

 

ここでそのプレイヤーはおそらく、浅く見えるOBゾーン、ミスショットが出る事への不安、前方に待ち受けるハザードと、クラブの選択その他に苦心することとなる。もちろんこれらは全てメンタルの側面に起因するものである。これらの諸症状に対する処方箋はみな同じものになる。ストロークを始動する前に、確実に必要な準備を完了させることを学び、ひとたびストロークを開始したならば、あとはクラブヘッドがスイングのアクションによって動かされるフィーリングを獲得する事に集中するだけだ。

 

完全な「無」の境地になることはどう考えても困難である。プレイヤー自身についてのこと、あるいはそれ以外の何千もの外部のことがらについて、考えようと思えばいくらでも気になることが出てくるだろう。だからこそ、一つの明白な事柄に集中するという手法を守り抜くことが必要になる。クラブヘッドをスイングしている感覚を意識するというただ一点に集中することだ。それだけを考え、他のこと考えないようにすることだ。

 

関連して、読者諸君には本章で述べた視覚についてのこと、つまり視覚で得られた情報は他の感覚に比べてかなり優性にマインドに直接影響するということの重要性を思い出して欲しい。他の感覚よりも優性に作用するということは、せっかくプレイヤーが上記のように一つのことに集中したいと考えたとしても、それを妨害し、混乱させるのも主に視覚なのである。よって、練習においてクラブヘッドをスイングする感覚を身につけるために、スイング中ずっと目を閉じてストロークしてみることだ。おそらく視覚という情報を一切シャットダウンしたときの方が、私が再三述べているタッチやフィーリングの機能についてよりはっきりと理解ができるのではないかと思う。実際に私のティーチングにおいても、数多くの生徒がこの練習によって目覚ましい進歩を遂げているという実績があるので、ぜひ一度試してみることをおすすめしたい。

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