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2-R 写真やイラスト(Pictures)について
本書で収録しておる写真およびイラスト(Pictures)は、メカニクスのビジュアル的な説明であり、文章の説明と相伴って理解されるべきものじゃ
各イラストおよび写真に伴っておるキャプチャーは、単にその図の表題を示しておるのであって、それ自体が説明であるというわけではない
またそれぞれの図には照会用のナンバーが振られており、それらはその図が載せられておる本文の表題の番号に対応したものとなっておる
これは実用的なはなしだよー
しかしそれぞれの図が表現しようと意図しておることは、あくまでその項において論じられておる事についてのみであり、それ以外の側面について(たとえ図やイラストがそのような側面を持っていたとしても)表現をしようとする意図はない
例えばルーク師匠は「バックスイングでは左肩がアゴの下におさまっているのをしっかり確認する」って言ってるけど、その時の写真で若干ガニ股気味になってるからと言って、「左肩をしっかり入れるにはガニ股であることが重要」ってことじゃないからなってことだと思うよー
つまりこれは写真やイラスト(Picture)というものの危険性を指摘しているよー
全てのコンポーネントは二つの側面を持っておる ー すなわち個別の側面(一枚の絵)と、そのコンポーネントが関わっておる様々な要素(複数の絵)じゃ
理解を完全なものにするということは、これら個別の視点と、全体における関係性からの視点の二つの側面から理解をしているということじゃ
ここでは各コンポーネント理解するという概念的な議論を、同じ"Picture"と言う言葉で表現しているけど、このように同じ主語を使いながら全く別の議論を進めることを、英語では「悪文」と言うから気をつけてネー
もし図に振られた照会番号が、「#2」のような形で終わっておる場合、それらはその項で説明されておる同じお題におけるシリーズであることを示しているのであり、その順番はその項の議論をより明確にするよう意図して振られておる
また何らかの印が付されておる場合は、その項で説明したい動作の流れや方向、あるいはキーポイントとなる位置などを表現したい場合じゃ
写真やイラストが描写したいものは、まさに描写しようとしているもののみなのであり、そこに何らかの拡大解釈あるいは二次的解釈を行えるような誤差は可能な限りゼロであって欲しい
なぜならこれらの図やイラストは、極めて注意深く、専門的な見地からその描写がなされておる
"Close"という単語は重要じゃが、蹄鉄の両端が「閉じている」という場合にも、ゴルフ場が「クローズしている」という場合にも使えるが、こうした例は教科書ではできる限り少ない方が良いのじゃ
それぞれの図やイラストは、そのお題における理想的な状態を描写しておるので、一つのゴールとは言えるかもしれぬが、その図の通りになっていることが目標なのではないので、各項で描写したいものの目的が何であるかを見据えることが重要じゃ
じゃあもうちょっとわかりやすい文章書けよって世界中がツッコミ入れてると思うけどねー
2-S 全体像(Whole Pictures)
何度もくどいようじゃが、この本には全てのゴルファーにとって、その個人が人生において使用するであろう以上の情報が盛り込まれておる。
しかし第十一章において表示されておるチャートがしっかりと活用され、その統合性、一貫性および完全性が理解されれば、本書の全てを知ることはそれほど難しいことではない
もしかするとこの情報を表現できる別の構成方法があるのかもしれぬが、本書はそれなりに努力して、付随するあらゆる情報をごまかすことなく、一般的な読者の集中力で、個別の情報を一つ一つ理解するところから、際限なくそれらの関係性や理解を深めることまでを可能にする構成にしたつもりじゃ
とはつまり、あらゆる原理原則の個別の性格をしっかりと見極めたということじゃ
「全体像(Whole Picture)」とは、個別の特定の分野における数々のイメージを、お主の「トータルイメージ」として組み上げたものじゃ
初めのうち、個々のイメージと全体のイメージはその関連があいまいで、決して組み合わさる事はないじゃろう
しかし丹念に努力と経験を重ねたのち、継続することでその個々のイメージの輪郭がハッキリと現れ、光り輝くようになり、おぬしの「画集」として一冊に調和されることになるのじゃ
個々のイメージを作り上げる中で、「失敗作」が出てくることはやむを得まいが、今日の失敗作を昨日のものにすべく日々精進を重ねるのじゃ
必要な全ての情報は、それは期待したとおりの、あるいは予測した通りの文脈の中ではないかもしれぬが、本書の膨大な言語、あるいは明確な結論のなかにある
あらゆる要素を移動、あるいは再配置させようとすることは、全体としての構成に混乱をきたすのみなのじゃ
しかしどのような個人も、そのストロークパターンの中に"X"印のついたコンポーネントを抱えることは仕方のないことと言える
それらを克服する方法が最終的に理解出来れば、その個人はいつでも本書に戻って正しいマシーンの整備に取りかかることが出来るはずじゃ
最後に、索引をとにかくフル活用する事じゃ
こんがらがってパニックになってはならぬ
そこには必ず求めるべき単純化の道が残されておるはずじゃ
お主が求めるべき情報について、百科事典で物事を調べるのと同様に、どのページどの記述がその答えになっておるかをリサーチする技術を洗練させることじゃ
まぁTGMが読みづらいと言うことについての言い訳なんだけどねー
TGMは純粋に構成主義というか、例えばF1マシンに例えると
これはタイヤじゃ。F1マシンでは路面との摩擦熱によって表面が溶解することでグリップ力を高めるスリックタイヤが主に使われるがそのバリエーション云々
これはエンジンじゃ。高出力および各速度での適切なトルクを確保しつつ燃費、耐久性を確保することが重要じゃがそのバリエーション云々
これはシャシーじゃ。軽量化と衝撃安全性を確保するにはカーボンモノコック素材が主流となるがそのバリエーション云々
という具合にやたら細かく構成部品の説明が続く中で、世界中は
「で、どーやったら速く走れるんだ?」
って思ってるそのズレが永久に続いていて、まさに最終的な「全体像」であるF1マシンの完成形は「お主が努力してつくりあげるのじゃ」ってなって終わりという
そこへいくとベン・ホーガンというスーパーマシンの「モダンゴルフ」は
「オレのタイヤはこんな感じでぶっといぜ」
「オレのエンジンはこんな風に爆発的な加速を生むぜ」
「見ろよこのシャシー、強くて軽くて空力もゴキゲンだぜ」
となってて、誰もが納得する完成形(ベン・ホーガンというゴルファー)を見てるからそれだけで説得力が出ちゃうんだよねー
でもベン・ホーガンがやってることを、一般人がマネできるものなのか、あるいはその過程で学ぶべき事が本当にあるのかと言われるとどうなんだろうと
ベン・ホーガンは到達した「境地」を見せているとすると、TGMは上達の為の「道しるべ」を示しているわけでアプローチが違うからしょうがないけど、かなり宗教的に修行というか努力を継続出来る意思がないと(結局それがないとダメなんだろうけど)読んでも苦痛でしかないんだよねー
そう考えると武道とかに慣れ親しんだ日本人の方がTGMを受け入れやすいと思うのはおいらだけでしょうか
やっと第二章おわったよー(涙)
自分で自分を褒めてあげたい
今回も文章ばっかだから癒やし画像のっけとくよー
森美穂プロ (C)ALBA
森美穂プロ2nd QT通過おめでとう!!